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焚き火に誘われ、鮮やかなイメージの世界にあそぶ。

「ダーラナのひ」
nakaban作、偕成社発行、2021年11月発行。

2022年2月開催の読書会で出会った絵本。
フリンジのついた民族衣装的な服を身にまとい、大きな目で真っすぐに正面を見つめる少女が描かれた表紙絵に心を奪われ、いったいどんな本なのだろう、と一気に期待が高まる。

本書の主人公である、その少女の名はダーラナ。ページをめくれば、黄色や水色、緋色や紺色など鮮やかさの中に乾いた土を含んだような色使いと伸びやかなタッチの絵が目に飛び込んでくる。nakabanさんの作画は、素朴な力強さに溢れてどこか懐かしく、幻想的でもあり、忘れていた遠い記憶が刺激されるようでもある。

絵本の中の文字は、絵の一部であるかのようにしっとりと溶け込み、読者に与えられる文字情報はごくわずか。ダーラナについても、ダーラナのいる場所についても、詳しく語られることはなく、読了と同時に「あれ? これって結局どんな話なんだっけ?」と戸惑ってしまった。

この本にとても惹かれているのに、ページを最後までめくっても、不思議なほどに何かを「理解した」という感覚が湧いてこない。ストーリーに自分が置いてきぼりにされてしまったような感覚と言えばよいのか…。絵本では、文字情報が限られているからこそ、自由な読み方が読者に対して開かれている。それは本書の魅力の源泉でもあり、難しく感じるポイントでもある。これまでしっかりと考えてみたことがなかったが、絵本を読むって難しいんだな、と痛感する。

一冊まるごと、ページを行ったり来たり。気の向いたページに立ち止まってしばらく絵と文字を眺めてみたり。自らの身体を動かして探索するがごとく、時間をかけて本書の世界になじんでゆく。こちらから一方的にダーラナの世界に突入するのではなく、ダーラナと読み手である「私」の境目が薄くなってきて、ダーラナの経験している世界がこちらにやってきてくれるのを静かに待つ。この感覚をとても面白く感じたけれど、これは絵本に限られた話ではなく、読書という経験は本来こういう要素を持っているのだろうな、と思う。

nakabanさんの素晴らしい作画は、もちろん、本書の最大の見どころである。焚き火に向かうダーラナの表情のアップ、無数のトンボが飛び交う草原に立つダーラナの後ろ姿、満月を見上げるダーラナなど、焚き火をテーマとしたお話の展開上、印象的なシーンが次々に登場するが、冒頭にさらりと描かれた、海の姿もなんとも忘れ難い。

ダーラナは海を見ながら長い道を歩いている。
日が暮れはじめ、ちょっと寒そうだ。しかし、目が覚めるような黄色と水色でボーダー状に描かれた海は、寒さだけでなく、冷たい風を頬で感じる時のほのかな温度、やわらかな光、潮の香りまでもを感じさせてくれるように思われる。生きとし生けるもの全ての記憶を、たくましくもやさしく蓄えているような海の存在感が、ダーラナを波打ち際へと誘う。

その場面を眺めているうちに、なぜか「玉藻なす」という枕詞が思い出された。高校時代、古文の授業で習ったのだろうか。「玉藻なす」は「寄る」とか「浮かぶ」などに掛かる、枕詞だったと思う。すっかり忘れていた言葉がここで思い出されたのがなんとも不思議だが、思いがけず記憶の底から湧き上がってきた、日常生活では触れることのないクラシカルな語感が新鮮で、言葉の響きもとても面白く感じられた。

nakabanさんの描く世界の中で感覚や記憶をゆるやかに解き放ち、自由に遊ぶひとときは、パチパチと小さな音をたてる焚き火を囲みながら過ごす時間にも似ている。とりわけ、読書会で参加メンバーと一緒に本書を読み味わってゆく過程は、互いが口に出すちょっとした感想や疑問が、焚き火に新たに加える枝のようだった。時に脱線しながら、イメージがどんどん膨らみ、読者ひとりひとりが本書の世界にあたたかく包み込まれていく。「ダーラナのひ」という作品の存在感が、まさに焚き火そのものだった。

ちなみに、「焚き火をテーマとした絵本を」という依頼を受けるにあたって、スウェーデンの伝統工芸品「ダーラナホース」が、nakabanさんの発想の種になったのだそうだ。ダーラナホースとは、赤や水色など鮮やかな彩色を施された木製の馬の形のお守りで、北欧の寒く長い冬の夜、木こりの方々がストーブを囲んで雑談しながら材木の切れ端で作ったおもちゃが起源とされているものらしい。こんなエピソードも本書の味わいを一層深めてくれる。




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