長田弘さんは、1937年生まれの詩人の方。この本は詩集ではなく、「本という考え方」についてのエッセイとなっている。文庫版が最近出版されたことを知り、改めて読んでみたくなった一冊。
本を読んで人生の深呼吸ができるような場所があるとすれば
長い時間をかけて本を読めるだけのいい椅子を、わたしたちはまだまだ手に入れていない。
(本書、61頁より)
日本の場合、勉強机と椅子しかないために、読書は楽しみでなくて、勉強になってしまっていて、
本を読もうとすると、前かがみになって机に向かう姿勢になるのですが、それは本を読む、
気持ちのいい姿勢とは言えません。(中略)
本を読むならば、深呼吸するように本は読みたい。そして、本を読んで人生の深呼吸が
できるような場所があるとすれば、それはいい椅子の上だということです。そのように、
自分のための椅子を見つけることができれば、いい本を読む、あるいは読んでいい時間を
手に入れることができるだろうというふうに思うのです。
本を開けると、初めに始まりがあり、最後にはおしまいがある
本を開けると、初めに始まりがあり、最後にはおしまいがあります。
(同、25頁より)
それが当たり前というのが本であり、本の備える特質です。(中略)自分が読まなければ、本は先に進みません。本はその本を開いたときが始まりで、閉じたときがおしまいです。始まりがあって終わりがあるのが、本です。
始まりがあって終わりがあるというのは、人間の生き方そのものです。
生まれてきたときが始まりで、死んだときがおしまいです。そのために、本のありようは、しばしばそのまま人間のありようを指すというふうに感じられてきました。
人間にとっての「読書という経験」や「言葉の力」について、このような美しく穏やかな文体でさまざまに綴られていく。
心地よい本。思いもかけない世界を見せてくれる本。
本書(文庫版)巻末の解説で、池澤春菜さんは以下のように書いている。
この本はいわゆる読書論や読書のすすめではありません。もっと根源的な、言葉について、そして自分のありようについて考える本と言えるかもしれません。(中略)
(同、220頁より)
心地よい本というものがあります。全ての文章、全ての流れがしっくり来て、自分のために書かれているのではないかと思うような本。なのに自分の想像力を裏切って、思いもかけない世界を見せてくれる本。そんな本に一生に何冊かでも出会えたらこんなに幸せなことはないと思うのです。
本書を読むことを通して読者が長田さんと共有しはじめた「本」という存在に対する親密さが池澤さんの解説によって、一層染みわたっていくような鮮やかな連繋プレーのような感覚も楽しく、何度も読み返したくなる一冊。
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